ADHDの歴史3 - 世界的共通認識の制定
ADHDに関する研究は地道に行われてきましたが、その研究対象は、常に子供でした。
しかし、子供のうちに発症して、大人になっても治らないケースが多くあることが、次第に明らかになります。
1970年代に入り、大人のADHDに関する研究結果が発表され、さらにそこでは、抗鬱剤が一定の効果を
示しているという新たな薬物に関する研究結果も明らかにされました。
1970年代には「MBD」という呼び名が完全に使われなくなりましたが、その代わり、新しい概念として、
「HDD」(注意欠陥症候群)という言葉が使われるようになりました。
しかし、この時点では、まだ「ADHD」の「H(多動性)」という言葉は抜けています。
それは、多動児に関する長年の研究で、多動児にとって一番大きな問題は、多動性そのものではない、
という見解が広まったからです。
この時点で一番重要とされていたのは、「注意欠陥」であり、多動性はこの中に含むという考え方が
一般化していました。
その結果、1980年には、逆に多動性が軽視されるようになり、今度は「多動性という言葉を使わないのは、
いかがなものか」という議論になりました。
こうして数々の研究結果を元に、その概念の統一化に対する議論がなされ、最終的に、多動性の意味も
含めた総合的な呼び方、「ADHD」で統一するに至ったのです。
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